1937年三重県生まれ。1980年に無添加化粧品事業を個人創業。翌年にジャパンファインケミカル販売株式会社(現在の株式会社ファンケル)を設立。趣味はゴルフとカラオケ。座右の銘は「人間大好き」。
今から40年ほど前です。妻の顔を見ると顔の肌あれがひどい状態になっている。いったいどうしたのかと聞くと、これまで使っていた化粧品が肌に合わなくなったと言うんです。ちょうどその頃、化粧品のせいで肌あれを起こすことが社会問題になっていました。悪いのは保存料などの添加物だとわかってはいるけれど、防腐剤を入れないと化粧品は1ヵ月ほどで腐ってしまうという。普通ならここであきらめるんでしょうけど私は違いました。それなら傷まずに使い切れる量1週間分を密封容器に入れて使えばいいと考えたのです。それがアンプル容器の一種バイアル瓶だったのです。「これで女性を救える!」と確信しました。
無添加のスキンケアが皆さ んに喜んで迎えられているうちに、メイク品も無添加で作ってほしいという声が多くなりました。しかしこれは難しかった。口紅はほとんどがタール系の色素※を使っていましたが、安全性に不安があるのでファンケルでは使えない。天然の色素だけではなかなか鮮やかな色が出ない。苦労に苦労を重ねて当時としてはかなり良い発色まで出せたのは、ファンケルが初めてじゃないでしょうか。
ただ紅花では失敗しました。天然色素だから良いと思ったら、ごく一部の人ですが、アレルギーが発生することがわかったのです。そこでこの口紅を買ってくださったお客様全員にこのことをお知らせしたのです。そうしたら「私は敏感肌だから、今度作るときはモニターになってあげますよ」と逆に励まされて。あれには感動しました。「正直にありがとう」というお声をたくさんいただいて。お客様に「ごめんなさい」と正直に謝る会社だから、信用も得られたんですね。
※石炭・石油などを熱分解するときに生じる黒色。または褐色の油状物質を原料とする合成色素
創業の頃は1色刷りの「素肌美ニュース」というものを手作りして、定期的にお客様にお送りしていたのですが、もっと役立つ情報をお届けしたいと創刊したのが『エスポワール』です。言葉の響きやフランス語で「希望」という意味が良いと思って私が名付けて、初代の編集長になりました。
編集作業は慣れないことばかりで本当に大変でしたが、商品を売るだけでなく、お客様に役立つ情報をお伝えしたい一心で、肌の正しいお手入れ方法など随分勉強しました。さらに誌面を通して女性の自立も応援したいという気持ちから、政治や経済のミニコーナーまで作りました。今の『エスポワール』に目を通すと、「お客様のため」というあの頃の私の編集方針がちゃんと貫かれているので、うれしく思います。
初めて店舗を出したときは、お客様に来ていただけるかどうかもわからなかったけれど、横浜駅西口の地下街に3坪の店を実験的に出したときは、店の前にずらっと人が並ぶほど。店員も一人しかいないので、ベテラン愛用者のお客様が店員の代わりにほかのお客様に教えてくれているんです。「こういう商品よ」とか「私はこう使っている」とか。ここでもまたお客様に助けられました。
私はファンケルの店舗を時々巡回するのですが、私の顔を覚えていてくださるお客様に「池森さんでしょ。私、ファンケルで初めて化粧品が使えるようになりました」って感謝されることもしばしばあり、これはうれしい。
そしてもう一つうれしいのは、店で出会ったお客様が皆共通して肌がきれいだということです。30年以上の愛用者の方に「私いくつに見える?」なんて聞かれたことも。皆さん若々しさに自信を持っていらっしゃる。長く使い続けるほどその違いが感じられて、無添加の価値を再認識します。
最初に無添加化粧品を作ったときから、私が一番力を入れたかったのがエイジングケアです。ファンケルの研究所でパラベンという防腐剤が肌の老化と関係することを突き止め、無添加化粧品を長く使っているお客様の肌が若々しい理由も証明されました。無添加から始まり、いかに老化を予防するか。そのための化粧品をファンケルで作るために随分と研究しました。
今、コラーゲンやエラスチンなど皮膚の弾力にかかわる線維が改めて注目されていますが、この分野でもファンケルの研究がリードしていると思います。そしてこれからのエイジングケアはもっとパーソナルになるべきで、一人ひとりの個人差に合わせたオンリーユーのエイジングケアに向かっていかなければいけないと強く指示をし、研究を続けてきました。化粧品で女性を若々しく保つことは私の使命です。エイジングケアへの想いはどんどん強くなっています。
「不安」や「不満」など、今も世の中にはいろいろな「不」がありますが、一番大事なことは正直であることだと思います。だからファンケルは「正直品質。」を掲げて、この言葉を、未来永劫守り通していきます。
こんなファンケルを40年もの間支えてくださったお客様には、言葉では言い尽くせないほどの感謝の気持ちでいっぱいです。お客様は私と一緒にファンケルをここまで育ててくださった同志だと思っています。これからもお客様のために、ファンケルは尽くしてまいります。お客様のために、ファンケルは永遠であってほしいと思っています。