これまでも、これからの未来も、私達は変わらず
皆様の日々のお気持ちに寄り添い、
「お客様に喜んでいただけること」を追求し続けます。
世の中の「不」をひとつひとつ解消していくことで、
皆様の「美と健康」を末永くサポートして参ります。
2020年4月、全国の緊急事態宣言下、いつも利用していたショップでの購入ができず、久しぶりに電話での注文。電話は当然混み合っておりました。オペレーターの人数も減らして対応しているのかな、感染の心配のある中、お仕事怖くないのかな、でもファンケルだから大丈夫か…など勝手に考えながら順番を待っていました。
つながってからも、早く切りたいだろうに…と余計な私の心配とは真逆で、次々とかかってくる電話に、よくこんなにていねいに対応してくださって、と頭の下がる思いでした。
日やけ止めクリームを買うか、それも含まれている特別セットにするか悩んでいることを伝えたら、セットの内容を一つひとつ時間をかけて教えてくださいました。いつもはショップで手に取ってあれこれ悩めるのに、今はそうすることができず、エスポワールも届かなくなっていたことを最大限にカバーしてくださる、心のこもった対応でした。それなのにそのセットを注文しなかった私に対する受け答えのやさしさは最後まで変わることはありませんでした。いろいろ申し訳ない気持ちになりながら「大変なときに…気をつけてお仕事なさってください」とお伝えしたら、とても喜んでくださって、私にも同じような言葉をかけてくださいました。私にとっては、コロナへの恐怖心が最高潮のとき、そんなときに感染への危険と隣り合わせでお仕事をされている方の、温かい声を聞いたら、涙が出そうになりました。そして数日後、届いた商品の中にマスクとメッセージ。世の中マスク不足で、どれだけマスクが貴重かというときでした。“ファンケルがマスクを寄贈”というニュースをたまたまテレビで見たのもこの頃だったかもしれません。
あの時分に届いたマスクを見たとき、絶対にお礼の手紙を書かなくてはと思いながら、時間が経ち、その後に届いたエスポワールで、この絆エピソードの募集を知ることとなりました。世の女性たちに、こんなにも温かく、力強く寄り添い支えてくれる「ファンケル」。40周年おめでとうございます。そして本当にありがとうございます。18歳から30年という長きにわたって、ファンケルを愛用してきた私にとって、このお付き合いは大きな自慢です。
電話をするたびに、耳に残る、温かく思いやりに満ちたやさしい声は、どんなに世の中の状況がつらく厳しいときでも、変わらずにそこにあり続けてくださいました。それがファンケルなんだな、と改めて誇らしく思いました。絆エピソードをきっかけに、初めて感謝の気持ちを伝えることができ、本当によかったです。これからもお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。社員の皆様のご健康を、心からお祈りしております。
2年前、突如私の顔は真っ赤に腫れあがり、かゆくて痛くて汁にまみれ、顔も洗えない状態に。新しく使った化粧品の成分にアレルギー反応があることがわかりました。
当時化粧品をすべてファンケルに変え、肌を誉められることが増えた矢先の出来事。仕事も順調で大人数の前でのプレゼンも控えていました。楽しみにしていた恋人との旅行も。痛過ぎてお化粧もできず、自信を失くした私は怒りに任せファンケル窓口へ電話をしました。その方は私の涙にまみれた一方的なクレームを真摯に受け止めてくださいました。「私には聞くくらいしかできませんが、もしお心が晴れるならまたいつでもお電話ください」とやさしい言葉をくださいました。その後も「ご様子いかがですか?」と数回にわたるお電話や、仕事が忙しくて電話に出られないときはお手紙までくださり涙が溢れました。
すべてがダメになったと思っていたけれど、私とファンケルとの絆を一層強めた忘れられない思い出を得ることができました。今はきれいな肌を取り戻し、充実した日々を過ごしているとあの方に心から謝罪し伝えたいです。ずっと寄り添ってくださりありがとうございました。
あなたのおかげで今も私はファンケルと強い絆で結ばれています。これからもずっと。
今から25年ほど前、肌の不調で悩んでいたときに出会ったのがファンケルです。その際、お店で作っていただいたメンバーズカードは、その後25年近く私の財布の特等席に鎮座し続けることとなるのです。
その頃のカードは、薄い黄色でした。その後カードの色は変わり、いつしか薄い黄色のカードはすっかり珍しいものとなっていったようです。数年前、店舗で黄色いカードを出すと、若い店員さんに「この色のカード初めて見ました!長い間ご愛用いただいているんですね」と嬉しそうに言われました。それからは、店舗で黄色いカードを出すのが少し誇らしくさえなったものです。
しかし、時代の流れとともに、カードは携帯アプリへと変換していくこととなり、遂に黄色いカードともお別れするときが来ました。お別れの瞬間は少しあっけなく、最長老を失った財布はなんだかさみしげでした。財布の中から黄色いカードは消えましたが、私のファンケルへの想いは失せることはありません。ファンケルの企業姿勢にとても共感していますし、ファンケル製品のない生活は考えらません。今までも、そしてこれからも、ずっとファンケルファンです。
保育士として勤務中、東日本大震災に。電車もなく停電で真っ暗な道を1人っきりで歩いているうち気づけば迷子に。前を歩いていた方に必死で追いつき一緒に歩かせていただきました。なんとその方はファンケルの洗顔パウダーを開発されたとのこと。
思えば以前ファンケル製品を使っていましたが、家庭の事情で金銭的に厳しくなり、しばらくファンケル製品を諦めていた私。「品質には誇りをもっています。いつか金銭的に余裕ができたら、ぜひ乳液だけでも使ってみてください!10年後のお肌が違ってきますよ」とおすすめされました。
いろんなお話をしながら5時間ほど歩き、自宅近くまで戻れたところでその方とはお別れしました。迷子の私を助けてくださったお礼がしたくてお名前を伺いましたが、「こんな状況では助け合うのが当たり前です」と…。
それ以来ずっとファンケル製品を使っています。アレルギー体質ですが、ファンケル製品を使い続けていると、肌トラブルもすっかりなくなりました。ノーメイクで保育士として奮闘中ですが、ファンケルの洗顔、化粧液、乳液だけはこれからもずっと使い続けていきます。あの日のファンケル社員の方、今でも感謝しています。
幼少期、洗面所の戸棚にきちんと並ぶ透明のきれいな小瓶が見えて、「それなあに」と母に聞くと「秘密の魔法水よ~」
私も大人になって一人暮らし。スキンケアはおろそか。久しぶりに実家へ帰ると「すごい肌あれ!ちゃんとケアしてる?」と母に心配され、あの【魔法水】なるファンケルの化粧液や乳液を教えてもらいました。そういえば母の肌あれを見たことがない…。これは試すしかないと飛びつきました。
届いたのは小さなボトル。コスパ的にどうなのかしら、と思ったものの1ヵ月使うと肌質が安定してきました。母にメールで伝えると「続けなさい、魔法水★」。
けなげに母の言いつけを守ってもう5年が経ちます。今は私も30歳ですが、若い頃よりも圧倒的に肌がきれいになりました。きめ細かくツヤのある肌が今では自慢です。肌を褒められるととても嬉しいです。また、小さなボトルなのは、フレッシュに使ってほしいという願いが込められていたことも知りました。添加物を使わずていねいなものづくりをするファンケルは大好きなスキンケアブランド。
母に教えてもらった魔法水、ずっと使い続けたいです。
私は両親がおらず、祖母に育てられました。家業が倒産してからは祖母は、パートで朝5時から夜遅くまで働きに出て、女手ひとつで育ててくれました。毎日パート先の残り物の惣菜を食べて生活した日々は、つらかったけど幸せな日々でした。
祖母がその後難病にかかったこともあり、私は高校卒業後、すぐに働くことに!社会人生活のスタートで使わせていただいた化粧品がファンケルのものでした。貧乏でお金が無かったのに、社会人の礼儀だからとなけなしのお金で購入してくれた化粧品、一生忘れません。
そんな祖母も昨年の7月、この世を去りました。あんなに美容にはうるさい祖母が、なりふり構わず働いて、メイクもしなくなって、自分もオシャレしたかったはずなのに、私に化粧品をすすめてくれて…。祖母の命日を迎えたとき、こちらの企画をしていることを知り、何かの縁かもと思い、応募させていただきました。
私にとってはファンケルはほかとは違う、とても特別な存在です。
「うわぁ、ファンケルのエピソードに当時の私が次から次へと思い出されるなんて」。
2019年秋、新聞に創業者の「私の履歴書」が掲載されました。ファンケルの歴史とともに、私の10代から50代までをたどっているようで胸が熱くなりました。
高校生よりひどいニキビに悩まされていました。そんな矢先、チラシの「無添加」の文字に惹かれファンケルを初購入。使い続けるうちに大学生の頃にはニキビは落ち着き、ツヤツヤの肌になりました。そんな無添加化粧品の登場と継続に大変な努力や困難があったことを知り、驚きました。
「基礎化粧品だけではなく、メイク用品がほしいなぁ」と思っていたら発売されたのは20代。商品を実際に試せる実店舗ができたのが嬉しくてよく行った30代。忙しい仕事のあとにファンケルスクエアに立ち寄るのが楽しみだった40代。そして50代。
ファンケルのおかげでいまだに肌がきれいな理由をよくまわりに聞かれています。ほかにも初めて知るお話や出来事にその頃の私を思い出していました。その会社の歩みとともに自分のストーリーが語れるなんて、自分でもびっくり。しかし、そんな会社はほかにはないような気がするのです。
ありがとう、ファンケル。
戦中派の父は、白米が一番のご馳走でした。炊き込みごはんですら、「混ぜ物をするな」と怒ったほどです。認められるのは、鍋もの後の雑炊とお赤飯、栗ごはん、松茸ごはん。当時、贅沢で食べられなかった物なら混ぜてもいいんです。だから、玄米ごはんなんて、いくら体に良くても絶対にダメでした。
「発芽玄米もやっぱりダメなんだろうな」と思いながら、少し混ぜてみました。
気がつきません。
さらに少し増やしました。
気がつきません。
長い期間をかけて、少しずつ増やしていって、ある日「この頃、毎朝、便通がいい」と言いました。発芽玄米を混ぜていたことを白状すると、一瞬ムッとしたようですが、「最近の玄米は、うまいんだな」と言って許してくれました。
いくら体のためにいい食材でも、過去の体験で食べたくない人は多いと思います。でも、ファンケルの発芽玄米だけは、受け入れられたのです。
今年も迎えたお盆に、思い出してお供えましたが、どう思ったでしょう。
小さな赤ちゃんだった娘。その小さな手を守るのに精いっぱいだった私たち夫婦。赤ちゃんは、やがて子どもになり、中学生になった。子どもと大人の狭間で揺れ、反抗期真っ盛りだ。
そして、私たちにとって地獄の日々が始まった。娘の通う中学校は選択制の給食で、ほとんどの子が弁当を持参する。4階から1階まで階段で取りに行く給食は、友達との昼食時間を削ってしまうため、弁当を作ることになった。午後から出勤し、夜中に帰ってくる夫とパート勤務の私。私といえば、小学校の頃から目標にしている早寝早起きがいまだ達成できず、もはや達成できないかもしれないと感じ始めている。この夜型人間2人で、反抗期娘と私と夫、3人分の弁当作りを始めることとなった。
弁当初日の朝はとにかく眠く、想像以上に段取りが悪かった。2日目は少しだけ作業がスムーズに進んだ。3日目、この生活に少し慣れてきた頃、口答えばかりの娘がぼそっと言った。「お弁当の牛炒めがおいしかった。あと発芽米もおいしかった」と。平均より、やや小柄の娘。育ち盛りのこの時期に少しでも多く栄養を取るにはどうすればいいか考え、食べるようになった発芽米が反抗期娘と会話をするきっかけを作ってくれた。そこから弁当の会話が増え、娘は学校の話もするようになった。
「寝食を共にする」という言葉があるが、同じ家に住んでいても生活スタイルが違うと、これが難しい。だけど、離れた場所で同じ昼ごはんを食べる。これだけでも通じ合えることはあるかもしれない。いつか、地獄だと感じたこの弁当作りの日々が元気の源だったと、発芽米をのんびり食べながら振り返る日が来るのかもしれない。ふと、そんなことを思ったりしたが、また朝を迎えると、眠たくツライ弁当地獄なのだけど。
「容器の使い捨てが気になる」「カタログはもっと軽量化できるのでは?」など、いろいろな機会にコメントをしていました。コメントしつつも、そう簡単には変わらないだろうなと、期待はあまりしていませんでした。
それが、気がついたらカタログのあり方が変わっていたり、詰め替え容器が登場していたりしました!そのたびに、ファンケルはずっと研究や努力を続けてくれていたんだなぁと感謝、反省しています。
特に詰め替え容器については、利用者がきちんと使用回数を守ってくれるのか等、ファンケルにとっても心配があったのではないかと思います。それを販売に踏み切ってくれたのは、ファンケルの顧客への信頼があってのことだろうと嬉しくなりました。サステナブルな生活を実践するには、企業と顧客がお互いに信頼し、協力することが欠かせないと思います。それができるのは、長い年月をかけて信頼関係を築き上げてきた、私(を含む利用者)とファンケルだからこそ、と思うのです。
これからも、この絆を大切にしていきたいと改めて思いました。
毎年プレゼントされるファンケルの卓上カレンダー。母の遺品である8冊のファンケルカレンダーは、びっしりと書き込まれている。私も母も、ファンケルには長い間お世話になってきた。私は化粧品や肌着で。母は発芽玄米やサプリメントで。
嫁ぎ先から実家に帰ると「発芽玄米、持って帰りなさい」と、母が私へ。「お母さん、ファンケルの温かい靴下、買ったからはいてね」と、私から母へ。エスポワールもよく読んでいた。
そうして毎年もらっていたカレンダーだが、去年は、通信販売でのカレンダー終了、いつも利用している店舗でも在庫切れという事態に直面した。2020年はもう使えないのかと、半ば諦めつつ問合せたほかのショップ。そこのスタッフの方が、わざわざ他店舗からカレンダーを取り寄せてくださるという、神対応をしてくださった。
そのカレンダーには、今年、小学生の息子が予定を書き込んでいる。BBQ、塾、野球、etc.
来年はどのような予定が書き込まれるだろうか。歳月が経ち、移り変わっていくものもある。でも、毎年、ファンケルカレンダーで1年を始めるのは、これから先も変わらない気がする。
「涙はダメ、笑って」
母の病状の深刻さに泣いていた私に、母はやっと聞き取れる声で私に語りかけた。その1週間後、母は静かに旅立った。余命半年の宣告から、わずか3ヵ月目だった。病室を片付けるため棚を開けると化粧液が残されていた。ファンケルの化粧液。
あまり化粧品について語ることがない母が愛用していたことを私は全く知らずにいた。年のわりには素肌がきれいで、人から褒められるといつも嬉しそうに、また誇らしげにしていた母。生前の笑顔が走馬灯のように浮かび、涙がとめどなく流れ落ちていった。
考え方が合わず、化粧品トークで盛り上がるような仲の良い親子ではなかった。遠方に暮らすことを理由に年に数回しか会いにも行かなかった。残された化粧液の瓶を握りしめた私は、母を知ろうともしなかった自分に初めて気づかされた。
「残りを使ってね」と母が私に言っている。その日から私のファンケル生活がスタートした。「お母さん、やっぱりいいもの使っていたね」ファンケルの化粧液を手に取ると、「涙はダメ、笑って」と母からの言葉が聞こえる。そんな1日の始まりに母とのつながりを感じている。
私は百貨店の販売の仕事に就き22年目ですが、5年前にお客様に喜ばれる接客をする優秀な販売員として、パートでは珍しい金バッジをいただき、今も頑張っています。
それは、審査のあるロールプレイング試験を目前にした日に、ファンケルショップに立ち寄ったときの、スタッフの方との出会いのことです。
お客様に声をおかけするタイミングもさりげなく、そのときは買う物はなかったのですが、お肌のキメなどをチェックしてくださるというので、席に着きました。
肌のお悩みを聞いてくださり、愛用のファンケルの効果的な使用法をアドバイスしてくださいました。「あなたのお話を伺わせてください」という傾聴の表情、話し方が素晴らしい方でしたので、「私も接客の仕事をしているのですけど、お客様に、あなたに聞いてもらってアドバイスしてもらえていいお買い物ができて良かったと言われるのは、なによりも嬉しいですね」と会話しました。
ネットでなんでも簡単に買い物できる時代ですが、やはり価値のある商品は、人から人へ、言葉と笑顔のコミュニケーションを大切にする姿勢で販売するファンケルショップは、これからもなくてはならないと感じています。
私は、中学生の頃から肌が弱く、手が主婦湿疹、そんなときに出会ったのが、ファンケルでした。
手あれは変わりませんでしたが、顔はファンケルのおかげで、きれいでいられました。
そんな中、結婚、出産をし、毎日忙しく過ごしている中、ファンケルの社長にメッセージを!というお手紙を拝見。ファンケルが大好きな私は、もっとケースをこうしたら?袋をこうしたら?など、ありとあらゆる要望を書いてみました。
そんなある日、まさかの池森社長からの、直々メッセージ。その中に書かれていたことは、子どもを育てている、当たり前のことに対して、頑張っていると。要望に対して、ありがとうと。
毎日これでいいんだろうかと、不安をかかえながら過ごしていた毎日。池森社長のそのメッセージに、涙がこぼれました。頑張っているねとか、ありがとうとか、当たり前の言葉がほしかった私に、社長からのメッセージがどんなに心にしみたものか。
あれから、30年以上経ち、社長は、名誉会長になっておられましたが、あのときの写真で見た笑顔は変わっていませんでした。池森社長に今さらながら、ありがとうございます。
いつの頃からか、私の近くのどこかから、家の台所や洗面所だったり、職場の机の引き出しだったり、ひょっこり顔を出す、ファンケルのサプリメント。どちらかというと続かない性格の私。でも、人生の節目節目で思い立ったら買っていたのがファンケルのサプリメントでした。
仕事で海外赴任が決まったとき。海外で手に入らないと困るだろうと、日本のものをとにかく詰め込んだ、その荷物の中にファンケルサプリ。
人生のパートナーを必死に探した婚活中。外面も磨かなきゃいけないと思い、どれが美容に良さそうか悩みながら選んだファンケルサプリ。
長年の夢だった子どもを授かったとき。おなかの子に栄養をたくさんあげても大丈夫なようにあれこれ揃えたファンケルサプリ。
いつも残り1袋ぐらいになる頃に、気が緩むのかもったいなくなるのか、なぜか戸棚の奥の方などへいってしまって、何ヵ月かして、思い出すようなことも。
再会したときは、私の家に隠れている妖精さんを見つけたような気持ちになります。
例えば、洗顔時に使用する青いドットのターバン、ふわふわのバスタオルやフェイスタオル、花の手帳、リビングテーブルの中心にある健康カレンダー、丈夫な長年愛用し続けているバッグ(我が家ではファンケルバッグと呼んでいます)やポーチの数々、食卓を飾る素敵な食器、そして日本製水色のパジャマ等々、ファンケルからいただいたプレゼントの数々。プレゼント目当てに商品を買うこともしばしばあるのは「ほしい!使いたい!」と思えるプレゼントですし、経験からとても良い商品であることを知っているからです。
毎年秋になると「来年はどんなお花が表紙だろう?」とわくわく胸をときめかす花の手帳は1994年の初年度からずっと私の欠かせない相棒でしたが気づけば26年…。手のひらサイズで丁度よく、健康カレンダーもですが、振り返るのにも保管にも適していて使いやすく、これ以外考えられないのは26年もの間、使い続けているからでしょうか(笑)。学生時代は、デザインがシンプルに感じてお気に入りのシールをいろんなところに貼ったりして、手帳の中にはその時間(とき)その瞬間の大切な思い出がぎっしり詰まっています。
消耗品ではない製品に囲まれている私の日常にはこうして常にファンケルが傍らにあります。無添加がまだポピュラーではなく開封に注意が必要だった小瓶の化粧液と顆粒薬袋に入っているかのような洗顔パウダーから容器、中身と改良進化していき、健康食品、快適肌着、雑貨とラインナップも増えていきましたが「変わらぬもの」もファンケルにはあります。それは、無期限の送料無料返品・交換システムによる真心と安心です。
長年愛用しているサンガード50を使用中、赤ニキビができてしまった際や限定のハート形洗顔パフが1ヵ月持たずにカビが生えて変色してしまったとき、美容相談室で相談したらていねいに話に耳を傾けられ何よりもまず、私の肌の状態のことを心配してくださっているのが電話越しの声色から伝わってきて嬉しく感激しました。返品完了後も再度お電話をいただいて肌状態を案じてくださいました。
ファンケルの理念は「正直品質。」ですが、私としては「安心品質。」の方がしっくりきます。無期限の送料無料で返品・交換対応している企業を私はほかに知りません。それでどんなに安心して購入できるか。もし合わなかったら、食べられなかったらという購入時の不安を抱く こともなく、重ねてもし、何があっても寄り添って相談に応じサポートをしてもらえる信頼もあります。正直、他社の化粧品ブランドを数々使用したこともありますが、ずっとご縁があるのはファンケルだけです。月刊誌のエスポワールも魅力的ですし、気がつけば自然にファンケルに戻り、落ち着いています。
今、この瞬間もファンケル製品が目の前にあり、これからもこの縁を大切にしていきたいなぁ~とにんまりしながらペンをとっています。
化粧品だけでなく、肌着類もファンケルオンリーです。着心地が良くて何より安心感があります。パジャマが発売されたときにも迷わず自分用、娘用に購入しました。
このコロナ禍で、高校3年生の娘の生活も一変しました。部活は知らぬ間に引退になり、文化祭や体育祭、楽しい行事はすべてなくなり、目に見えない敵と闘いながらの受験生活です。ニコニコ楽しくしゃべっていたかと思うとムスッと黙って口をきかなくなったり。ストレスと不安に押しつぶされそうであろう娘の心中を察すると可哀想でなりません。
でも、親として、可哀想ばかりも言ってはいられません。とにかく前を向いて進んで行こう、と励ます日々です。そんな生活の中で、毎朝私と色違いのお揃いのパジャマを着て起きてくる娘を見るとホッとします。
ゆっくり寝たかな、今日も頑張ろう、と心の中で語りかけています。どうぞ、娘にも人々にも安心して暮らせる日々が早く来ますように。
ファンケルで私の大好きなのはエスポワールと元気生活です。商品案内だけでなく、ためになる記事も載っているので、毎月届くと、ウキウキテンションが上がります!
紅茶を飲みながら、じっくり目を通します。
おうちごはん、今から始めるカラダ見直し帖、私の美の時間、1日5分ストレッチや旬を食べよう、こころのメンテなど、毎号楽しみにしています。
新型コロナウイルスが流行り、緊急事態宣言が出て、外出もままならず、友だちと気軽にランチにも行けず気持ちが沈んでいた頃、いつものようにポストにエスポワールが届いたのは、とても嬉しく、コロナの緊急事態宣言のさなかでも、エスポワールと元気生活を作ってくださったファンケルさんに感謝です。同じくファンケルを愛用している友だちと、エスポワールが届くと、「カタログに載ってるミニルージュ見た?」など新商品の話をするのが毎月の楽しみです。また、同じ商品を買ったときは、使い心地どうだった?味はどうだった?などと話をするのも楽しいひとときです。ファンケルと友だちとの絆に感謝です。
ファンケルの商品も大好きですが、これからもエスポワールと元気生活も毎号楽しみにしています。
いつも立ち寄る直営店は、某百貨店のたくさんの化粧品ブランドが立ち並ぶ1階のフロアの中で、一番奥まったエリアにあります。COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染拡大および流行に伴い、各化粧品ブランドごとの判断で、次々にブースがCLOSEになっていた4月中旬のことでした。
「きっとファンケルさんも閉めているだろうな…」と半ば諦めつつ足を運ぶと、なんとOPENしているではありませんか。
「いつもありがとうございます!大変なときに足をお運びいただいて恐縮です」と、顔なじみのスタッフさんが笑顔で迎えてくださいました。もちろん、お互いマスクを着用していましたが、飛びきり明るい笑顔のお声がけのおかげで、思わず駆け寄ろうとしてしまいました。慌てて、「ソーシャルディスタンスですよね」と、距離を保ちつつ、ほんの短時間ではありましたが会話を交わし、お目当てのサプリメントを購入して無事ショップを後にしました。
通信販売もよく利用しますが、私はやはり対面での購入が安心できます。何よりスタッフさんとの会話が楽しいです。そのときの体調などを相談して、いつも利用しているサプリにレスキュー的にほかの商品をプラスする提案などもいただけるからです。
「いらっしゃいませ、ご無沙汰しております。お元気でしたか?」と、明るい接客をこれからも続けていただけることを願ってやみません。私にとってこれも大切な「サプリ」ですから…。
私とファンケルの出会いは、かれこれ20年以上前になります。当時小学生だった私は、成長期に入ったこともあり、カルシウム不足で爪がよく割れていました。そのときに出会ったのがファンケルのカルシウムでした。おかげで爪が割れなくなり、身長も伸びました。
中学生になると、思春期特有のニキビが出ました。いろいろと洗顔を試していくなかで、最終的に落ち着いたのがファンケルの洗顔パウダーでした。泡立ちもよく、ニキビによく効きました。さらに高校受験時には「受験生応援サプリ」にもお世話になりました。
高校生になってからは、母のすすめでマイルドクレンジング オイルを使うようになりました。皮膚にたまった角栓がきれいに落ちて、顔がざらざらしなくなり、吹き出物が劇的に減りました。
20代になってからは、サプリではマルチビタミン、ビタミンC、えんきん、DHA&EPAなど、化粧品では、ファンケルメンシリーズ、マイルドクレンジング オイル、シャンプー&トリートメントなど、ファンケル製品が以前にもまして大活躍しています。3年前の長期海外研修の際には、ケール青汁のおかげで野菜不足にならず、体調を維持できました。ファンケル製品は品質が良く、肌にやさしく、さらに容器の形状が良くて最後まで使えるので、自然にファンケル製品が増えています。
最近は、ディープクリア洗顔パウダーも使い、週末に肌の状態をリセットしています。毛穴の奥まできれいにすることができて、さらに肌がうるおうので、最高のお手入れができています。
ファンケル製品のおかげで、32年間健康で、しかも肌がつるつるです。女性の同僚にも「男性なのにお肌がきれいだ」とよく言われます。ファンケル製品とはこれからも末永く、心強い相棒として付き合っていきたいと思います。
株式会社ファンケル 名誉相談役 ファウンダー 池森賢二様
はじめまして。突然お手紙を差し上げます失礼をおゆるしください。
遡ること28年前、私はファンケルの化粧品に出会いました。まだ化粧液がガラス瓶とアルミの蓋だった頃からです。肌が弱く、新しい化粧品を使う前に皮膚科へ行き、パッチテストするたび赤い反応があらわれ、もう自分に合う化粧品なんてこ の世に無いんだ!と意気消沈しながら帰ってくる日々を繰り返していました。
21歳のとき、職場の先輩に相談したら、「ファンケルの化粧品は無添加で肌にやさしいから、1度使ってみるといいよ!」と、ガラスの小瓶に入った化粧液と乳液を1本ずつくれました。早速、この小瓶たちと、ついでにほかの会社のサンプル品も持って皮膚科でパッチテストをしたところ、ファンケルの化粧品だけ赤い反応があらわれず、ようやく自分に合うものに出会えたことが嬉しくて、診察室にもかかわらず飛び上がって喜んだことを今でもよく覚えています。
ファンケル化粧品を作ってくださった池森様には感謝しかありません。不満・不安を取り除いた良い商品を作ってくださったからこそ、出会ってから四半世紀以上、私は今も使い続けていられるのだと思います。この先もずっと使い続けていきたいと思います。
私がペーパークラフトに出会ったのは、偶然にもファンケルと出会った年と同じ28年前。21歳のときでした。人を笑わせることはとても難しいですが、個展で私の作品を見た方が笑顔になったとき、今までペーパークラフトを続けてきて本当に よかったなぁと実感します。
このたび、ファンケル創立40周年の記念に、私の28年間の感謝の気持ちを創業者の池森様に何とかお伝えしたいと、ファンケルの化粧品パッケージを使用したペーパークラフトを制作いたしました。きれいなパッケージのおかげで、私自身も納得のいく作品に仕上がったと自負しております。ひとまず私の同封の写真を見ていただき、受け取っていただけるようでしたら改めて実物をお送りいたします。この作品を見て池森様が朗らかに笑ってくださることを願っております。
ペーパークラフトワゴンについての動画はこちら
35年くらい前、母が肌に悩まされてきたなか出逢ったのがファンケルでした。当時、ファンケルの化粧液はとても小さな可愛いガラスの瓶でした。その頃の私は小学生で、その瓶が可愛く魔法の薬が入っている小瓶みたいで素敵でしたので、使い終わった瓶を母に貰って集めていたのを思い出しました。
高校生となった私は市販の洗顔料を使っていましたが、母と同じ肌質なのか肌に合わず痒みが出てしまいました。母が自分の使っていたファンケルの洗顔を私に分けてくれて、痒みも治りました。その頃のファンケルの洗顔パウダーは小さな銀色の袋に入っていて、周りの友達は「何で小分けなの?」と不思議そうでしたが、「無添加で保存料など入ってないからだよ。」と伝えたところ、普段使う物の成分が私達にとても大切な事を知って驚いていました。
ファンデーションデビューも迷わずファンケルでした。母宛のエスポワールが好きで、届くたびに母より先に開けて読んでいた事を思い出します(笑) メイクの仕方もエスポワールで学びました。
そんな私も結婚して家を出たので、私宛に届くようファンケルに手続きの連絡をしたところ、窓口の方が、「ご結婚おめでとうございます!」とお祝いの言葉を贈ってくださり、その後届いた化粧品の小包の中に【感謝の気持ちを伝えるお祝いカードセット】が結婚祝いのプレゼントとして添えられていました。心優しい気遣いある素敵な会社だなぁと本当に感じました。知らない土地に嫁いで寂しい気持ちの中でのサプライズでしたので、「なんだか家族みたいだなぁ」と、とても嬉しかったのを覚えています。
出産し、子供が新生児の頃、市販の保湿クリームが合わず、ファンケルのベビーミルクを使用したらやはり大丈夫でした。ファンケルを振り返ると、自分の人生の思い出も一緒に返ってくると気がつきました。40周年絆エピソードがきっかけで、ファンケルとの繋がりがずっと当たり前のようにあったのだとつくづく思います。
現在、私の娘もファンケルのクレンジングボトルが好きで、色んなシリーズが出ると集めています。3世代にわたり私の家族でもあるファンケルは、きっとずっとずっと一緒にそばにいて続いていくと思います。いつも、そばにいて、進化し続けていくファンケルを一緒に見て育ってきました。40歳のファンケル本当におめでとう、そしていつも家族のように寄り添って支えてくれてありがとう。これからもどうぞそばにいてくださいね。
私の大好きな愛読書エスポワールの表紙に書かれている"この無添加スキンケアが、一生の味方。"
本当にそう思います。
いつものようにスキンケア用品を店舗で購入し、車での帰宅途中に東日本大震災に遇いました。沿岸部を走っていた私は車ごと津波で流され、幸い命は助かりましたが、買ったばかりの化粧品は全てなくなってしまいました。
断水が続き、入浴は勿論、洗顔すらままならない毎日でしたが、少しだけでも、日常を取り戻したい気持ちが徐々に芽生えて来ました。スキンケアのストックもなくなり、思いきって、ファンケルの通販に電話をかけました。そして、オペレーターに買ったばかりの化粧品がなくなった経緯を伝えると、「大変な思いをされ、さぞお困りでしたね」と親身になってくださいました。
事務的ではない、一人の人間としての温かみが伝わり、涙が出そうでした。その後、迅速に配送してくださり、本当に有り難く思いました。
あれから、9年経ちますが、辛い記憶は全く消えません。しかし、同時に、オペレーターの思いやりのある対応や、手元に商品が届いた時の安心感は、温かく幸せな記憶として、しっかり心に残っています。
その昔、もう20年前になるでしょうか、大学生になる時に、母に初めての化粧品を一揃い買ってもらったのがファンケルでした。その後大学で東京へ行き、水が合わずにアトピーが出てしまって、痛くて何も塗れない時、ファンケルの店員さんが助けてくれました。水も痛くなっていた肌に、店頭でFDRの化粧液を一本使い切ってしまうのではないか?!と思うほど、優しく丁寧に掌で押さえながら塗ってくださいました。自分の涙も肌に痛かったので、その時は泣きませんでしたが、どうしようもなく辛かった時に、泣きたいほどに嬉しかった体験でした。
その後、肌はよくなり、FDR以外のものも使えるようになりました。今は、出産育児をして、アンチエイジングも気になる年代に。今では、BC ラインを使えるようになり、相変わらずファンケルのお店に行っています。次はきっと、ビューティブーケになることでしょう。今、肌の悩みもなく暮らせているのは、あの時、ファンケルに救っていただいたからだと思っています。
40周年、おめでとうございます!
中学生の時にファンケルに出会いました。「無添加というのがいい。」と母が言って購入しました。その頃の私は、ニキビいっぱいの顔で悩んでいました。洗顔パウダーがまだ分包で、一回ずつの使い切りになっていたのを覚えています。40年近く経っても、この洗顔パウダーは手放せません。
私が3年前に入院した時のことです。78歳になるおばあ様が同じ病室にいらして、「顔を洗うものが足りないから、ちょっとください。」とお願いされたので、ファンケルの洗顔パウダーをお貸ししました。すると、「これは細かい泡で気持ちいいわねえ!」と感激され、「78年も顔を洗っていてこんなに気持ちのいい洗顔は初めてだわ!」とおっしゃっていました。
私は、自分のことを褒められたような気がして、とても嬉しかったです。だって、中学生の時からずっと手放せない洗顔パウダーですもの!入試の日も、初めてのデートの日も、初出勤の日も、父が亡くなった日も、主人に出会った日も、結婚した日も・・・嬉しかった日も、悲しくて顔をぐしゃぐしゃにして泣いた日も、この洗顔パウダーで毎日洗ってきました。とても愛着があります。これからもずっと一緒です!
「何か必要なものある?」
大学に通う為、家を出た娘に会うときに私が必ず聞くことだ。決まって彼女は「あーファンケルの洗顔パウダー!」「あーファンケルのマイクレ!」「あーファンケルの日焼け止め」「あー」と考えてからしゃべるので毎回考えているのだろうが、彼女にとって切実に必要なものは、食べ物でもなく身につける物でもなく、ファンケルであることに彼女は気づいてないだろう。
ファンケルが40周年ということで私のファンケル歴も25年近くになるが、さて1月に成人式を迎えた娘はどれくらいのファンケル歴になるのかと考えてみたら赤ちゃん時代から使っているのだからざっと20年になる。彼女も相当なファンケル通でビックリしたのだった。
レストランにて、「このオレンジジュースは、緑じゃなくて、黄色なんだね!」
4歳の娘が発した言葉に、思わず笑みがこぼれました。物心ついた頃から、便秘がちで食の細かった娘。考え出した対策は、妊娠中から私が愛飲していたファンケルの冷凍青汁を加えた、緑色のオレンジジュース。毎日の食事に、オレンジジュースだよ、と言って添えて出していました。口の周りを緑色にしてゴクゴク飲む姿の、かわいかったことといったら。
そんな娘も、今ではもう14歳。「いつか自分が一人暮らしをして、料理が全然できなくても、このジュースがあれば大丈夫だね!」そんなセリフが飛び出すように(笑)青汁の割合は、彼女の成長とともに、少しずつ増やしていきました。
ファンケルさん、今まで私達の食生活を支えてくださってありがとうございました。そしてこれからも末長く、ご支援よろしくお願いいたします!
私とファンケルさんの出会いは、遡ること30年以上前。
両親が離婚し父に引き取られた当時中学1年の私。おしゃれに目覚めたけれど、父は慣れない家事で手一杯、洗顔フォームや化粧液、乳液、、聞いても全くわからない(;_;)。
そんなある日、新聞にファンケルさんの広告が。『無添加』の文字と、爽やかな透明ビンにブルーの文字が印象的で、早速注文。洗顔の方法から、化粧液他のアイテムの使い方まで、丁寧に書かれたパンフレットを参考にしてお手入れをはじめ、以来、ファンケルさんの基礎化粧品は、私の必須アイテムに。あの時の私には、ファンケルさんのパンフレットが、お母さんの代わりでした。
今は2人の子供を育てるのに精一杯で基礎化粧もファンケルさんを使えていませんが、お誕生日には必ずお祝いの品とメッセージが届き、本当のお母さんみたいだと心から感謝しております。また、毎月パンフレットが届くと、今は亡き父と、あの頃頑張っていた自分を思い出して目頭が熱くなります。子育てが終わったら、これも使ってみたい!と妄想しながら有難く読ませていただいています。長い間、たくさんの暖かいお心遣いをありがとうございます。
私は子どもの頃、頬がかさかさになったことがありました。母が当時使用していた化粧液をつけてくれましたが、さらにかさかさに。その化粧液は私には合わなかったのです。母はごめんね、ごめんね、といいながら新しく購入した化粧液をつけてくれました。それがファンケルと私との出逢い。
無添加だから子どもの敏感な肌にもぴったりでした。それから、母は頬がかさかさにならないよう、毎日無添加の化粧液をつけてくれました。とても幸せな時間。私はそれからずっとファンケルです。母の日にはファンケルを母にプレゼントしています。ファンケルとの絆は母との絆です。出逢いに感謝、ありがとう。
ファンケルさんとは、もう10年以上のお付き合いになるかと思います。嬉しい時も楽しい時も、悲しい時も辛い時も、どんな時も一緒に歩み続けてきてくれた・・・私にとっては大切な宝物です。
特に今年は3月に会社を退職してから今も無職の状態が続いております。田舎暮らしの中、なかなか思うように仕事が見つからず、先の見えない不安な日々です。でも、どんなに気持ちが沈んでいる日も、朝晩鏡の前に座り、ファンケルさんの化粧品でお手入れをしている時間は唯一そんな重たい気持ちを忘れ、心からホッとすることができるのです。肌だけではなく、心もスーッと吸い込まれていくようなそんな気がします。
1月が誕生日なのですが、先日エスポワールと一緒に「Happy Birthday」と書かれた誕生日プレゼントのパンフレットが届きました。毎年いただいているものですがなぜか今回はそれを見た瞬間、涙が溢れました。今辛い毎日だからこそ、ファンケルさんの優しいお心遣いが胸にしみて、とても嬉しく思いました。
化粧品だけではなく、あたたかい心も一緒に届けてくださるファンケルさん、これからも私のいろんな「時」と一緒にそばにいてほしいです。
無撚糸タオルがプレゼント企画品として登場したのは20年ほど前。その手触りに感動し、その後の同様の企画時と合わせ4枚ほどいただきました。
このタオルを当時保育園児だった娘のシーツやタオルケット代わりに使っていたところ、タオルの縁をスリスリしながら眠りにつくようになり、やがてはスリスリすれば眠れる睡眠誘導剤のような存在に…まさに「ライナスのブランケット」。名前も付いています。『モラサ』(さらさら毛布の略を逆さ読み)
ただ、モラサと認定されたのは4枚中2枚(微妙な感触の違いがあったようです)で、その2枚を愛用し続け…生地は薄くなり、縁もほどけてきて千切れそう。なのに代替品が見つからず、今でも現役!!
「スマホは買い替えできるけど、モラサはこの世にこの2枚しかない」つまり、娘にとっては最上位に君臨している大事&大切なもの。間違いなく、娘とファンケルを結ぶ最強の絆の一品、いえ、逸品になっています。
「今日ファンケル銀座に行ってメイクしてもらった。」
会社帰りに主人と銀座のデパートの屋上の階で待ち合わせ。その前に寄ったのがファンケル銀座スクエア。主人が東京に単身赴任になったのは今から8年前。慣れない東京での一人暮らし。
様子を見に上京することになった。単身赴任のマンションに向かい、掃除を終えてから一度は行きたいと思っていた場所に向かう。上京に合わせて予約をした。
東京に不慣れな私は途中で迷子になり電話を入れた。嫌な声
一つ出さずにお気をつけてと言ってくれた。やっと辿り着いた銀座の中ほどにある白いビル。清潔でインテリアも素敵だった。係の方が暑い中ありがとうございますと優しい笑顔で迎えてくれた。東京で主人以外の人と初めて話す相手だった。ホッとしたのと優しい笑顔になんだか泣きそうになった。
メイクの最中に地方から出てきたこと、単身赴任の主人のこと、メイクが終わったら銀座のデパートで待ち合わせしていることを伝えた。地方都市に住む私にとって銀座でメイクしてもらうことはシンデレラがフェアリーゴッドマザーの手によって変身する出来事だ。
メイク終了後もしかしたら商品の販売をされるかと身構えていたが「足りなくなったら地元のお店でお買い求めください。」と言われただけだった。待ち合わせのデパートは出たら右手に進んでくださいと迷子にならないように教えてくれた。
テレビでファンケルの正直品質のCMを見るたびに銀座に行った7年前の暑い日を思い出す。誠意あふれ出すホスピタリティ精神のある接客態度に品物以上に正直さを感じている。
初めてメイクをしようと思った日。デパートの化粧品売場に行ったものの、華やかすぎる雰囲気に気恥ずかしくなり、何も買わずに出てきてしまいました。デパート付近をウロウロしてた時、ふと目に入ったのがファンケルハウス。
あまり聞いた事がなかったけど、外から伺える店内の雰囲気に「ここなら入っても大丈夫かも」と思い入店。薬局っぽい清潔感のある店内で、笑顔が素敵な店員さんが優しく迎えてくれました。すっぴんで、お金も持ってなさそうな私に対し、とても丁寧にメイクを施してもらった上、基礎化粧や私の腫れぼったい一重瞼にも似合うアイメイクまで、沢山のことを教えてもらいました。実家を離れて一人暮らし。小さな不安を抱いて生活している中、店員さんの対応に涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
それから28年。化粧液の瓶と同じく私の体も大きくなり、ファンケルのスタッフはもれなく皆さん年下になりましたが、すっかりおばさんになった私を28年前と同じ優しい笑顔で迎えてくれます。今行ってるショップはデパートの中にあり、やっぱり少し緊張するけど、ファンケルは別。これからもずっと、よろしくお願いします。
20年ほど前のこと。化粧品が合わなくて悩んでいる時に私の街にファンケルハウスができた。でも不安だった。テレビでCMをしている会社でもない、周りに使ってる人はいない、そもそも無添加って?
恐る恐る小さな小さなお店に入ると「いらっしゃいませ」と店員さんが優しく声をかけてくれた。化粧品店は美容部員さんが積極的なイメージだったから、自然な感じで働く店員さんたちが新鮮だった。声をかけると、店員さんは私の肌が弱いことを聞いてくれてファンケルと無添加のことを教えてくれた。肌の悩みで化粧ができなかった私の心に「おつらかったですね」と寄り添ってくれた。そして「サンプルをお家でお使いになってみてお肌に合うようでしたらお買い求めくだされば」と言ってくださり、その優しさに感激した。
家に帰り、ふわふわに泡立てた洗顔パウダー、化粧液、乳液のステップ。肌が潤ったのがわかった。うれしくて何度も鏡を見た。
翌日ファンケルハウスに向かうとあの店員さんが一緒に喜んでくれた。それがわたしとファンケルの出会い。人に優しく、肌に優しく、心に優しい。それがわたしのファンケル。これからもずっとファンケル。
結婚して1年位経った時、田舎から上京して遊びにくる母。久しぶりの親子2人でのお出掛けにワクワクしていました。何処へ行こうか迷った結果、銀座に行くことに。母も私も初めての銀座。右も左もわからないまま、テレビで見たことのあるデパートや素敵な街並みに目を奪われ、あてもなく歩きました。
今思えば、母から"ファンケル銀座スクエア"へ行ってみない?と誘われたような気がします。そして、2人でハンドケアをしていただきました。母娘2人並んで、エステを受けるのはこれが最初で最後でした。
エステティシャンの方は、マッサージをしながら母と私のたわいもない話を楽しそうに聞いてくださり、なんとも言えない幸せな気持ちになりました。帰りに、美容液などを購入、おそらくそれが、私とファンケルの出会いだったと思います。
それからちょうど1年後、母と"ファンケル銀座スクエア"を訪れた日と同じ日、母は病気で亡くなりました。遺品にはファンケルの品々があり、母は以前からファンケル愛好家だったことを、その時知りました。今では私がファンケル愛好家。ファンケルは母と私を繋ぐ大切な存在です。
※2020年6月現在、銀座スクエア及びファンケルショップにおいてハンドマッサージサービスは行っておりません。
おそらく雑誌に載っていたのだろう。インターネットも携帯電話もまだ普及されていない時代だった。25年前。これははっきりわかる。娘が25歳だから。
妊娠してから無添加のものを食べ物で取り入れるようになり、様々な勉強をしそんな最中、出会ったのがファンケルだった。サンプルで送ってもらった化粧液はガラスの小瓶にはいり、それだけで無添加であることがよくわかりそこから私とファンケルは始まった。
25年様々なことがあった。嬉しいこともあった。でもそれ以上に辛いことも悲しいこともあった。一人涙することもたくさんあった。でも私のそばにずっとファンケルがいてくれた。思えば25年、出会わない日はなかった。これってすごいなぁ、と改めて思う。小瓶は年月とともに変わっていったけど中身は、そのポリシーは、25年経っても変わっていない。
娘は25歳になった。
離れて暮らすからあれこれ話せないけれど、私とファンケルの絆の話をいつか話そう。
いつの日か母になる娘に初めて出会った小瓶の話を。
「もう何も食べたくない、ほっといて」
ひどいつわりに悩まされた当時の私。心配してくれていた母親にこんなひどいことを言ってしまいました。母は何人かの薬剤師さんに相談し、色々な料理を作ってくれました。薄味のチキン南蛮や、野菜を細切りにしたなます、甘めの黒豆。どれも食べることができず、とうとう体重も40キロを切ってしまいました。
そんなとき、母が良いアイディアを思いついたと嬉しそうに言いました。それは、おかずが食べられないなら、お米を変えてみようか。ということです。雑穀米や、押麦、いろいろ試しました。そして、ファンケルの発芽米。口に入れた瞬間、「あーこれなら食べられる。おいしい。」自然と、素直に言葉が出てきました。
それから、徐々におかずも食べられるようになり、無事に元気な女の子を産むことができました。ファンケルの発芽米に出会えたことは、母のやさしさに気づけたことでもあります。あんなにひどいことを言ったわたしを見捨てずにいてくれて、いまは感謝の気持ちでいっぱいです。毎年、娘の誕生日には、ファンケルの発芽米を母に贈っています。
私はファンケルに絶対の信頼を置いています。なぜなら、ずっと共にいて、私の一部であったからです。
40周年を迎えたファンケル。私も45歳。初期のファンケル化粧液の小瓶は、私には馴染みがあります。母が使っていたのです。幼心におままごとのように小さな小瓶をかわいいものとしていた記憶。その頃はファンケルも千葉県流山市にあり、当時私が住んでいた町であったことも、不思議な縁を感じます。
大学生になると、いろいろな会社から化粧品の案内が送られてきて、ファンケルではない化粧品を使い、お手入れやお化粧をするようになりました。その頃、宮城県に住んでいる私の祖母が、ファンケルのローヤルゼリー、洗顔料と洗顔パフを使っていました。私は、母だけでなく、祖母までもがファンケルを使っているのを見て驚きました。祖母は綺麗な人でした。その祖母の「これで顔を洗うとすごく血行がよくなり、しっとりしていい」と言うのを聞いて、私はファンケルを使うようになりました。
それからずっとファンケルは私の一部です。毎日、私に安心感をくれています。ありがとう、私とずっと一緒にいてくれて。
自分自身は60代ではありませんが、【60代からのサプリメント】を定期購入しています。送り先は実家。私宛の荷物が実家に配達されると、母から電話がかかってきて、「ファンケル、届いたよ。」「開けて飲んでね。」この会話をもう何年も続けているのです。
用事がないと電話をかけられないような関係ではありませんが、実母にもっともらしい親孝行をするのはなんとなく気恥ずかしいもの。離れていても、『母には一日でも長く健康でいて欲しい』という娘の願いを、そっと手助けしてくれているのがファンケルのサプリメントなのです。年代別に不足しがちな栄養素が考えられているため、迷うことも選ぶ手間もありません。数種類のサプリメントが一回分ずつ個別包装になっているため、飲み間違いもありませんし携帯にも便利。パッケージ一袋が一ヵ月分なので、数量の管理も万全です。おかげさまで古希を過ぎ喜寿に向かう母は、骨密度や貧血などの心配もなく、元気に毎日を過ごせています。
離れて暮らす私に代わって母を支えてくださる、ファンケルの40周年にお祝いと感謝の気持ちを込めて。そしてこれからも末永くお付き合いをお願いいたします。
「どちらの口紅の色味がお母さんに合っていると思う?」 ファンケルショップの店員さんが私の娘に尋ねてくださった。中学生の娘が私の買い物に初めて付き合ってくれた時のこと。娘はファンケルショップに並んでいるお化粧品の数々を興味深そうに眺めていた。店員さんは「親子一緒にショッピングいいですね。」と柔和な笑顔を向けてくださった。
私とファンケルの出会いは、23年前にさかのぼる。大学生になって市販の口紅を塗った後、唇がたらこのように腫れ上がってしまったのだ。母の勧めでファンケル化粧品を使用するようになると肌トラブルとは無縁な生活を送れるようになり、以後はずっとファンケル一筋だ。
だから、私の娘がお化粧をするようになる頃には私が母に勧められたように私も娘に勧めてあげたい。そしてこれから先、50周年、60周年とファンケルのアニバーサリーを一緒にお祝いしていきたい。私の肌にはファンケル化粧品がついてるから、自信をもってこれからも輝き続ける自分でいられると思う。
40周年、おめでとうございます!ファンケルとのお付き合いは、敏感肌で日本製でも肌に合う基礎化粧品がなくて、困っていた20代から始まり、健康食品から発芽米・下着から雑貨まで、お世話になるばかりです。とりわけ海外出張時の、普段の生活から離れた環境では、いつもファンケルが頼りです。
気候・水・食べ物も異なる場所で、慣れないホテル生活をしながら、厳しいスケジュールをこなさねばならない。そこで、体調を管理し日本と変わらない笑顔をキープする為の、私の強い味方が、ファンケルの製品です。
国によって水質が変わっても、基礎化粧品もヘアケアも、欧米・中東・アジアどこでも、ファンケルなら大丈夫で、持ち運びにも、大変便利なサイズです。乾燥しがちで温度調整も難しい海外のホテルも、おやすみマスクと腹巻があれば安心してぐっすり眠れます。いつものサプリメントのパックに青汁で、朝をスタート。
いつもの化粧品も大切で、BBファンデーションは環境が変わっても、夜まで軽やかに肌をカバーしてくれました。かぜよけドリンクや、接待で食べ過ぎた後のカロリミットも、必ず持参しています。ファンケル製品は、これからも私の大切な相棒です。
※おやすみマスクは既に販売終了しております。
只今36歳です。23歳の時に難病になり、それくらいから喘息も発症し香料でお化粧を諦め始めた時でした。持病の影響で後遺症もありメイクそのものが大変でした。
でも女性らしくありたい!綺麗を諦めたくない!そんな願いから片っ端から試して出会えたのがファンケル。口紅をつけたのは何年ぶりだっただろうか。涙がでるほど嬉しかったです。
そして毎月楽しみにしているエスポワール。私のメイクのお手本は全てエスポワール。好感があるメイクばかり! 本当に素敵です。今はメイクも楽しく素早く出来るようになりました。私の人生で綺麗を諦めない事を教えてくれました。メイクをし外出する!そして毎号エスポワールを熟読する。楽しみです。
私は今年還暦です。1994年からファンケルの手帳をいただき、使い続けて27冊目になりました。
約30年前、娘2人が幼稚園と小学生で川崎に居るころ、社宅のお友達がファンケルを紹介してくださり、それ以来のおつきあいです。
1日に1行2行書かれた手帳をパラパラめくってみると、よいことも苦しかったことも、とても懐かしく思い出されてきます。家族の歩みが詰まっています。ファンケル化粧品やサプリメントはずっといっしょでした。
今は、ビューティブーケにはまり、特に頭皮ケアにも力を入れようと思います。年をとっても孫に「ばぁば、きれいだね。」と言われるように頑張ります。ファンケルの商品開発にこれからも期待しています。
ファンケルさんとは、化粧液が小瓶の時からのおつきあい。使い終わった小瓶がとてもかわいく気に入ってしまって捨てられず「元気生活」に載っていた、ハンドメイドページの額をアレンジして季節の草花をさせる一輪ざしのミニスタンドをつくり、身近なインテリアとして今でもずっと化粧液の小瓶を活用しています。
思い返せば使い始めてから、今までスキンケアは肌も心もシャキッとリセットさせていただき、毎日仕事場へ元気に向かえ、メイク品は私のコンプレックスな部分をカバーして、気持ちを明るくしてくれて、夏は日焼け止めや美白化粧品、冬はハンドクリームやリップ、家族も使ってお世話になりました。また今は亡き祖母に発芽米や青汁、まるごと緑茶をプレゼントすると大変喜ばれ、プレゼントの時にいただいたバスタオルや食器も生活の中で大切に使わせていただいております。毎月届く「ESPOIR」の情報誌から美容の知識を、「元気生活」からは健康の知識を教えていただき、勉強にもなりました。
30年ほど前の話になります。
そのころ、テレビコマーシャルに出てくるような大手メーカーの化粧品やブランド品の化粧品は、どれも必ず香料が入っていて、結構キツイにおいがついていました。私は、香料があまり好きではなく、香料が入っていない化粧品をずっと探していました。そんな時、雑誌の広告だったでしょうか。ファンケルを見つけた時は、とても感動したことを覚えています。香料だけでなく、肌に害のあるものは一切入れない「無添加」、その上「通販で購入できる」ファンケルの化粧品。まさに、私が探し求めていたものでした。
無添加である分、少量で値段も高めでしたが、何よりも安全であるということが安心となりました。
(時々、他の化粧品に浮気!?したこともありますが、結局ファンケルよりも魅力のあるメーカーはなく、必ずファンケルに戻るのです。)
これからも、私は、信頼できる会社ファンケルのファンであり続けることでしょう。
─ 写真について ─
購入を始めた当時は、化粧液と乳液は、完全密封の5mlのガラス?の小びんでした。
当時、私の住んでいる地区では、ごみの回収で化粧瓶の回収はなく、燃えるごみとして出すのも気が引けたため、使い終わった容器を捨てずに家の中に置いていました。そのうち、ファンケルの容器が樹脂製になり、燃やすごみに出せるようになったのですが、それまでの習慣で、化粧液の容器だけは、ずっと捨てずに25年?程たち、今日に至ります。
空き容器が、段ボール箱がいっぱいになるほどになってしまいました。そろそろ処分を考えないといけません。その前に、これまでの容器を写真にとっておこうと思いました。
※サミー様の大切な容器をファンケルの資料室に寄贈いただけることになりました。
『食品に消費期限があるのに、どうして化粧品にはないの?』新聞に見つけたファンケルさんの広告文、目から鱗のといかけでした。無添加化粧品との忘れられない出会いです。三十数年前、十ミリリットルのスキンローションは、旅や帰省時にとても便利。今も空きビンは小さな花の指定席、飾って楽しんでおります。大きな容器はお得感があっても安心感は得られません。香料も不使用なので調理や食事の邪魔をしないのもうれしいところ。
ミカンの様な鼻の頭や過剰な皮脂に悩み、ウグイスの糞を取り寄せたこともありました。洗顔パウダーを使ったときは、これだ!と思いました。長年の悩みが泡と一緒に払拭できたのです。小ビンから始まり進化し続けるファンケルさんのお陰でいつまでもかわらないねの一言が嬉しい日が続いております。タイムスリップできたなら「是非これおすすめだよ。」ってプレゼントしてあげたい。あの頃の私に。
私が新卒で西武池袋店に配属されて初めてのお客様が70代の女性のお客様です。当時は実習生バッチが付いてることに気づいてくださり、「頑張ってね」と声をかけてくださり、バッチが取れると「おめでとう」とお祝いしてくれました。
毎月ご来店があるのでいつも心待ちにしていたのですが、夏頃にぱたりとご来店が無くなってしまいました。そのことを先輩スタッフに「もし○○様のご来店があったら教えてください。最近ご来店無くて心配なんです」と相談していました。
すると「○○様昨日ご来店されてたよ!心配していたこと伝えたらまた明日来てくださるって」と報告がありました。翌日、「心配してくれていたらしいね、ありがとう。実の子どもより私のことを気にかけてくれているよ」と言ってくださり嬉しくて思わず泣きそうになってしまいました。それから少しご来店の間隔があくと「元気に生きてたよ!」と声をかけてくれるので私も「私も元気でした!」と返すようになりました。
そこから数年経ち、先日ご来店の際に結婚したことを報告すると「えー!!そんな話全然していなかったのに!おめでとう!!」と店内に響き渡るくらい大きな声で喜んでお祝いしてくれました。とても喜んでくださるので「実の親より○○様のほうが喜んでくれました」と言うと「もう親子みたいな関係ね」と返してくださりました。そんなことを言い合えるお客様と出会えたことは私の誇りです。
店長時代のエピソードです。
3.11からしばらく経ったころ、お客様よりお葉書をいただいたことがあります。差出人のご住所は宮城県となっており、不思議に思いながら読み進めて、ある日の閉店直前、私が一人で店頭におりました際に対応させていただいたお客様だと思い当たりました。
お葉書によると、ご来店の当時はお子様を一人前まで育てられた後、一念発起されて看護の勉強のため、専門学校に通われていたとのことでした。専門性の高い知識の習得に心も体も疲れてしまい、立ち寄ったファンケルショップ。そこに居合わせたのが私だったということでした。
その後、3.11をきっかけに故郷の宮城県の力になりたいと、看護のお仕事を始められたこと。当時の状況も相まって厳しい毎日が続いていたころ、ようやく咲き始めた桜を見てふと、ファンケルショップで出会った私と、心からほっとしたその日の気持ちを思い出したこと。大変だけれど、一期一会を大切に、自分も頑張らねば・・!と、筆をとってくださったと、綴られておりました。
正直なところ、接客の内容は今となっては記憶になく、恐らく特別な対応をしたわけではなかったのだと思います。ただ、故郷に帰られてまで思い出してくださるほど温かい気持ちになってくださったこと。またそれを、わざわざお葉書にしたため、お知らせくださったこと。涙が出るほど嬉しく思いました。その時のお葉書は、いつも手帳に入れて持ち運んでいます。自分もこんな風に、素直に温かい気持ちを伝えていける思いやりと、謙虚さを持てる人でありたいと思わせられる出来事でした。
私が初めて勤務した店舗は西武八尾店でした。
おじいちゃんおばあちゃんの多い店舗でしたが、閉店の日には複数のお客様が閉店時間に会いに来てくれました。
八尾店は歩いて来ることができたけれど電車に乗ってはもう歳だし無理やからな。。買えるだけ買っておくわなと仰る顧客様とお別れすることが本当に淋しくて泣いてお別れをしました。新しい店舗で勤務していても、ふと○○様や△△様お元気にしていらっしゃるかなと思うことがありました。
ある日手押し車を押しながら笑顔で店舗に向かって歩くお客様が見えました。「会いにきたよ~」と仰りお友達とご来店くださったことが今でも私の心の支えです。お帰りになる後ろ姿にずっと長生きしてくださいと思いながらお見送りをしました。
長年ご相談を承っていたお客様がいらっしゃいます。
自由な外出が難しく、ご自宅でカウンセリングのお仕事をされている方でした。お仕事柄、言葉づかいなど接客応対に厳しい方で、応対中はいつも以上に緊張しっ放しで強く印象に残っているお客様でした。
その後、フロア管理の職務に変わって電話応対をする機会が減り何年もお話ししていませんでしたが、お客様からのお電話が多かったある日、偶然にもこのお客様の電話をお受けしました。お客様は私の名前を憶えていてくださったので、現在の職務と普段は電話に出ていないことをお話ししたところ、「出世したのね!良かったわねー。本当に嬉しい。あなたのような方が増えるように後輩の指導がんばってね!」と、とても喜んで励ましてくださいました。
応対に厳しいお客様に憶えていてもらえたこと、そして認めてくださっていたことを何年も経ってから知ることができ、この仕事を続けていて良かったと実感いたしました。
単身赴任中のご主人の健康をご心配された奥様より、サプリメントについてご相談を承った際のエピソードです。ご主人のコレステロールや中性脂肪が心配だというお話を伺い、「EPA&DPA」「さらさらナットウキナーゼ」をご紹介し、その資料もお送りいたしました。
外食も多く体重も気になるとのことでしたので、カロリミットなどもご紹介いたしました。それから数日が経ち、奥様よりお手紙をいただきました。
「先日、中村様にご相談をさせていただきました。とても親身になって対応してくださったこと、電話での中村様のお声のトーン、話し方がとても丁寧で、気持ちが明るくなれたこと、サプリメントだけではなく、食生活に対するアドバイスまでしていただいたこと、パンフレットまで送ってくださったこと、深く感謝申し上げます。」
あれから数年が経ちますが、「EPA&DPA」や「カロリミット」を現在もご注文いただいているようなので、お役に立てていると嬉しい気持ちになります。日々、1本1本のお電話に、少しでもお客様のお役に立ちたいという気持ちで丁寧に、誠意をもって応対しています。
この手紙のコピーは宝物のように今でも持っています。今後も一人でも多くのお客様に、寄り添った応対が出来るように励んでいこうと思います。
今年は、コロナの影響もあり、店舗購入のお客様から、お電話をいただくことが多い年となりました。
毎日ご不安を抱えながら過ごされている中、いつも利用されている商品を買いにいくこともできず、どれだけご不便をおかけしているのだろうか、と胸が痛む中、電話での注文は初めてということもあり、とてもご不安で緊張されている様子が電話口からも伝わってきました。
「どうやって注文したらいいの?」「いつも使っている商品はわかりますか?」「いつ頃どうやって届くの?」「支払いはどうすればいいの?」一つひとつ、お答えしていくうちに、少し安心されたのか、声も明るくなり笑顔も見られるようになり、店舗でのエピソードをお話くださる方もいらっしゃいました。
「いつもは、いろいろ相談しながら購入しているんですよ。」「〇〇さんにお世話になっているから本当は会いに店舗に行きたいの。」「いつもお店で購入しているのに電話で注文するのは申し訳なくて。」「次は店舗に行けるかしらね?もし難しかったら、また電話させてね。店舗の皆さんにもよろしくね。」そんな言葉をいくつも頂戴しました。
お客様の言葉から、日頃から店舗スタッフとの間に深くあたたかい絆があることを気付かされる日々でした。私たち電話窓口もしっかりお客様との絆を紡げるよう、励んでいきたいと思います。
ファンケル銀座スクエアで
さまざまな体験を楽しんでいただきました。
その1日をご紹介いたします。