

















長年ご愛顧賜りまして誠にありがとうございます。ファンケルは2020年、創業40周年を迎えます。
創業以来私たちが一貫して持ち続けている「正直品質。」の姿勢。それは平成から令和へ、世の中が変化しても決して変わらない想いです。この先も、お客様が心を寄せてくださる「ファンケルらしさ」は継承し、技術や発想の進化、挑戦を重ねることで、商品やサービスの先にある喜びや、わくわくするときめきを全力でお届けしてまいります。
これからもファンケルをどうぞよろしくお願いします。
美の象徴、進化と変容の象徴である「蝶」をモチーフに、これまでも、そしてこれからも、美と健康と幸せをお届けするファンケルの想いを込めています。2つのハートが組み合わさり生まれる蝶は、お客様とのつながりと感謝の気持ち、美と健康の2つの領域へ共に進化・成長していく姿を表現しています。
海を渡って2000キロも旅をする蝶「アサギマダラ」。
ひらひら優美に飛ぶ蝶も、長い年月を俯職してみるとまっすぐな道筋を旅しています。研究を重ね試行錯誤しながら、美と健康にまっすぐなこだわりのモノづくり。そんなファンケルの軌跡と重なります。
「この想いを未来へ」の周年メッセージは、40年を迎えた感謝の気持ちを胸に、これからもお客様に喜んでいただくことを考え、「もっと何かできるはず」という想いで常に挑戦し、「正直品質。」のスタンスメッセージの通り、真摯にまっすぐ、継承・進化・成長していきたいという思いを込めています。
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35年くらい前、母が肌に悩まされてきたなか出逢ったのがファンケルでした。当時、ファンケルの化粧液はとても小さな可愛いガラスの瓶でした。その頃の私は小学生で、その瓶が可愛く魔法の薬が入っている小瓶みたいで素敵でしたので、使い終わった瓶を母に貰って集めていたのを思い出しました。
高校生となった私は市販の洗顔料を使っていましたが、母と同じ肌質なのか肌に合わず痒みが出てしまいました。母が自分の使っていたファンケルの洗顔を私に分けてくれて、痒みも治りました。その頃のファンケルの洗顔パウダーは小さな銀色の袋に入っていて、周りの友達は「何で小分けなの?」と不思議そうでしたが、「無添加で保存料など入ってないからだよ。」と伝えたところ、普段使う物の成分が私達にとても大切な事を知って驚いていました。
ファンデーションデビューも迷わずファンケルでした。母宛のエスポワールが好きで、届くたびに母より先に開けて読んでいた事を思い出します(笑) メイクの仕方もエスポワールで学びました。
そんな私も結婚して家を出たので、私宛に届くようファンケルに手続きの連絡をしたところ、窓口の方が、「ご結婚おめでとうございます!」とお祝いの言葉を贈ってくださり、その後届いた化粧品の小包の中に【感謝の気持ちを伝えるお祝いカードセット】が結婚祝いのプレゼントとして添えられていました。心優しい気遣いある素敵な会社だなぁと本当に感じました。知らない土地に嫁いで寂しい気持ちの中でのサプライズでしたので、「なんだか家族みたいだなぁ」と、とても嬉しかったのを覚えています。
出産し、子供が新生児の頃、市販の保湿クリームが合わず、ファンケルのベビーミルクを使用したらやはり大丈夫でした。ファンケルを振り返ると、自分の人生の思い出も一緒に返ってくると気がつきました。40周年絆エピソードがきっかけで、ファンケルとの繋がりがずっと当たり前のようにあったのだとつくづく思います。
現在、私の娘もファンケルのクレンジングボトルが好きで、色んなシリーズが出ると集めています。3世代にわたり私の家族でもあるファンケルは、きっとずっとずっと一緒にそばにいて続いていくと思います。いつも、そばにいて、進化し続けていくファンケルを一緒に見て育ってきました。40歳のファンケル本当におめでとう、そしていつも家族のように寄り添って支えてくれてありがとう。これからもどうぞそばにいてくださいね。
私の大好きな愛読書エスポワールの表紙に書かれている"この無添加スキンケアが、一生の味方。"
本当にそう思います。
いつものようにスキンケア用品を店舗で購入し、車での帰宅途中に東日本大震災に遇いました。沿岸部を走っていた私は車ごと津波で流され、幸い命は助かりましたが、買ったばかりの化粧品は全てなくなってしまいました。
断水が続き、入浴は勿論、洗顔すらままならない毎日でしたが、少しだけでも、日常を取り戻したい気持ちが徐々に芽生えて来ました。スキンケアのストックもなくなり、思いきって、ファンケルの通販に電話をかけました。そして、オペレーターに買ったばかりの化粧品がなくなった経緯を伝えると、「大変な思いをされ、さぞお困りでしたね」と親身になってくださいました。
事務的ではない、一人の人間としての温かみが伝わり、涙が出そうでした。その後、迅速に配送してくださり、本当に有り難く思いました。
あれから、9年経ちますが、辛い記憶は全く消えません。しかし、同時に、オペレーターの思いやりのある対応や、手元に商品が届いた時の安心感は、温かく幸せな記憶として、しっかり心に残っています。
その昔、もう20年前になるでしょうか、大学生になる時に、母に初めての化粧品を一揃い買ってもらったのがファンケルでした。その後大学で東京へ行き、水が合わずにアトピーが出てしまって、痛くて何も塗れない時、ファンケルの店員さんが助けてくれました。水も痛くなっていた肌に、店頭でFDRの化粧液を一本使い切ってしまうのではないか?!と思うほど、優しく丁寧に掌で押さえながら塗ってくださいました。自分の涙も肌に痛かったので、その時は泣きませんでしたが、どうしようもなく辛かった時に、泣きたいほどに嬉しかった体験でした。
その後、肌はよくなり、FDR以外のものも使えるようになりました。今は、出産育児をして、アンチエイジングも気になる年代に。今では、BC ラインを使えるようになり、相変わらずファンケルのお店に行っています。次はきっと、ビューティブーケになることでしょう。今、肌の悩みもなく暮らせているのは、あの時、ファンケルに救っていただいたからだと思っています。
40周年、おめでとうございます!
中学生の時にファンケルに出会いました。「無添加というのがいい。」と母が言って購入しました。その頃の私は、ニキビいっぱいの顔で悩んでいました。洗顔パウダーがまだ分包で、一回ずつの使い切りになっていたのを覚えています。40年近く経っても、この洗顔パウダーは手放せません。
私が3年前に入院した時のことです。78歳になるおばあ様が同じ病室にいらして、「顔を洗うものが足りないから、ちょっとください。」とお願いされたので、ファンケルの洗顔パウダーをお貸ししました。すると、「これは細かい泡で気持ちいいわねえ!」と感激され、「78年も顔を洗っていてこんなに気持ちのいい洗顔は初めてだわ!」とおっしゃっていました。
私は、自分のことを褒められたような気がして、とても嬉しかったです。だって、中学生の時からずっと手放せない洗顔パウダーですもの!入試の日も、初めてのデートの日も、初出勤の日も、父が亡くなった日も、主人に出会った日も、結婚した日も・・・嬉しかった日も、悲しくて顔をぐしゃぐしゃにして泣いた日も、この洗顔パウダーで毎日洗ってきました。とても愛着があります。これからもずっと一緒です!
「何か必要なものある?」
大学に通う為、家を出た娘に会うときに私が必ず聞くことだ。決まって彼女は「あーファンケルの洗顔パウダー!」「あーファンケルのマイクレ!」「あーファンケルの日焼け止め」「あー」と考えてからしゃべるので毎回考えているのだろうが、彼女にとって切実に必要なものは、食べ物でもなく身につける物でもなく、ファンケルであることに彼女は気づいてないだろう。
ファンケルが40周年ということで私のファンケル歴も25年近くになるが、さて1月に成人式を迎えた娘はどれくらいのファンケル歴になるのかと考えてみたら赤ちゃん時代から使っているのだからざっと20年になる。彼女も相当なファンケル通でビックリしたのだった。
レストランにて、「このオレンジジュースは、緑じゃなくて、黄色なんだね!」
4歳の娘が発した言葉に、思わず笑みがこぼれました。物心ついた頃から、便秘がちで食の細かった娘。考え出した対策は、妊娠中から私が愛飲していたファンケルの冷凍青汁を加えた、緑色のオレンジジュース。毎日の食事に、オレンジジュースだよ、と言って添えて出していました。口の周りを緑色にしてゴクゴク飲む姿の、かわいかったことといったら。
そんな娘も、今ではもう14歳。「いつか自分が一人暮らしをして、料理が全然できなくても、このジュースがあれば大丈夫だね!」そんなセリフが飛び出すように(笑)青汁の割合は、彼女の成長とともに、少しずつ増やしていきました。
ファンケルさん、今まで私達の食生活を支えてくださってありがとうございました。そしてこれからも末長く、ご支援よろしくお願いいたします!
私とファンケルさんの出会いは、遡ること30年以上前。
両親が離婚し父に引き取られた当時中学1年の私。おしゃれに目覚めたけれど、父は慣れない家事で手一杯、洗顔フォームや化粧液、乳液、、聞いても全くわからない(;_;)。
そんなある日、新聞にファンケルさんの広告が。『無添加』の文字と、爽やかな透明ビンにブルーの文字が印象的で、早速注文。洗顔の方法から、化粧液他のアイテムの使い方まで、丁寧に書かれたパンフレットを参考にしてお手入れをはじめ、以来、ファンケルさんの基礎化粧品は、私の必須アイテムに。あの時の私には、ファンケルさんのパンフレットが、お母さんの代わりでした。
今は2人の子供を育てるのに精一杯で基礎化粧もファンケルさんを使えていませんが、お誕生日には必ずお祝いの品とメッセージが届き、本当のお母さんみたいだと心から感謝しております。また、毎月パンフレットが届くと、今は亡き父と、あの頃頑張っていた自分を思い出して目頭が熱くなります。子育てが終わったら、これも使ってみたい!と妄想しながら有難く読ませていただいています。長い間、たくさんの暖かいお心遣いをありがとうございます。
私は子どもの頃、頬がかさかさになったことがありました。母が当時使用していた化粧液をつけてくれましたが、さらにかさかさに。その化粧液は私には合わなかったのです。母はごめんね、ごめんね、といいながら新しく購入した化粧液をつけてくれました。それがファンケルと私との出逢い。
無添加だから子どもの敏感な肌にもぴったりでした。それから、母は頬がかさかさにならないよう、毎日無添加の化粧液をつけてくれました。とても幸せな時間。私はそれからずっとファンケルです。母の日にはファンケルを母にプレゼントしています。ファンケルとの絆は母との絆です。出逢いに感謝、ありがとう。
ファンケルさんとは、もう10年以上のお付き合いになるかと思います。嬉しい時も楽しい時も、悲しい時も辛い時も、どんな時も一緒に歩み続けてきてくれた・・・私にとっては大切な宝物です。
特に今年は3月に会社を退職してから今も無職の状態が続いております。田舎暮らしの中、なかなか思うように仕事が見つからず、先の見えない不安な日々です。でも、どんなに気持ちが沈んでいる日も、朝晩鏡の前に座り、ファンケルさんの化粧品でお手入れをしている時間は唯一そんな重たい気持ちを忘れ、心からホッとすることができるのです。肌だけではなく、心もスーッと吸い込まれていくようなそんな気がします。
1月が誕生日なのですが、先日エスポワールと一緒に「Happy Birthday」と書かれた誕生日プレゼントのパンフレットが届きました。毎年いただいているものですがなぜか今回はそれを見た瞬間、涙が溢れました。今辛い毎日だからこそ、ファンケルさんの優しいお心遣いが胸にしみて、とても嬉しく思いました。
化粧品だけではなく、あたたかい心も一緒に届けてくださるファンケルさん、これからも私のいろんな「時」と一緒にそばにいてほしいです。
無撚糸タオルがプレゼント企画品として登場したのは20年ほど前。その手触りに感動し、その後の同様の企画時と合わせ4枚ほどいただきました。
このタオルを当時保育園児だった娘のシーツやタオルケット代わりに使っていたところ、タオルの縁をスリスリしながら眠りにつくようになり、やがてはスリスリすれば眠れる睡眠誘導剤のような存在に…まさに「ライナスのブランケット」。名前も付いています。『モラサ』(さらさら毛布の略を逆さ読み)
ただ、モラサと認定されたのは4枚中2枚(微妙な感触の違いがあったようです)で、その2枚を愛用し続け…生地は薄くなり、縁もほどけてきて千切れそう。なのに代替品が見つからず、今でも現役!!
「スマホは買い替えできるけど、モラサはこの世にこの2枚しかない」つまり、娘にとっては最上位に君臨している大事&大切なもの。間違いなく、娘とファンケルを結ぶ最強の絆の一品、いえ、逸品になっています。
「今日ファンケル銀座に行ってメイクしてもらった。」
会社帰りに主人と銀座のデパートの屋上の階で待ち合わせ。その前に寄ったのがファンケル銀座スクエア。主人が東京に単身赴任になったのは今から8年前。慣れない東京での一人暮らし。
様子を見に上京することになった。単身赴任のマンションに向かい、掃除を終えてから一度は行きたいと思っていた場所に向かう。上京に合わせて予約をした。
東京に不慣れな私は途中で迷子になり電話を入れた。嫌な声
一つ出さずにお気をつけてと言ってくれた。やっと辿り着いた銀座の中ほどにある白いビル。清潔でインテリアも素敵だった。係の方が暑い中ありがとうございますと優しい笑顔で迎えてくれた。東京で主人以外の人と初めて話す相手だった。ホッとしたのと優しい笑顔になんだか泣きそうになった。
メイクの最中に地方から出てきたこと、単身赴任の主人のこと、メイクが終わったら銀座のデパートで待ち合わせしていることを伝えた。地方都市に住む私にとって銀座でメイクしてもらうことはシンデレラがフェアリーゴッドマザーの手によって変身する出来事だ。
メイク終了後もしかしたら商品の販売をされるかと身構えていたが「足りなくなったら地元のお店でお買い求めください。」と言われただけだった。待ち合わせのデパートは出たら右手に進んでくださいと迷子にならないように教えてくれた。
テレビでファンケルの正直品質のCMを見るたびに銀座に行った7年前の暑い日を思い出す。誠意あふれ出すホスピタリティ精神のある接客態度に品物以上に正直さを感じている。
初めてメイクをしようと思った日。デパートの化粧品売場に行ったものの、華やかすぎる雰囲気に気恥ずかしくなり、何も買わずに出てきてしまいました。デパート付近をウロウロしてた時、ふと目に入ったのがファンケルハウス。
あまり聞いた事がなかったけど、外から伺える店内の雰囲気に「ここなら入っても大丈夫かも」と思い入店。薬局っぽい清潔感のある店内で、笑顔が素敵な店員さんが優しく迎えてくれました。すっぴんで、お金も持ってなさそうな私に対し、とても丁寧にメイクを施してもらった上、基礎化粧や私の腫れぼったい一重瞼にも似合うアイメイクまで、沢山のことを教えてもらいました。実家を離れて一人暮らし。小さな不安を抱いて生活している中、店員さんの対応に涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。
それから28年。化粧液の瓶と同じく私の体も大きくなり、ファンケルのスタッフはもれなく皆さん年下になりましたが、すっかりおばさんになった私を28年前と同じ優しい笑顔で迎えてくれます。今行ってるショップはデパートの中にあり、やっぱり少し緊張するけど、ファンケルは別。これからもずっと、よろしくお願いします。
20年ほど前のこと。化粧品が合わなくて悩んでいる時に私の街にファンケルハウスができた。でも不安だった。テレビでCMをしている会社でもない、周りに使ってる人はいない、そもそも無添加って?
恐る恐る小さな小さなお店に入ると「いらっしゃいませ」と店員さんが優しく声をかけてくれた。化粧品店は美容部員さんが積極的なイメージだったから、自然な感じで働く店員さんたちが新鮮だった。声をかけると、店員さんは私の肌が弱いことを聞いてくれてファンケルと無添加のことを教えてくれた。肌の悩みで化粧ができなかった私の心に「おつらかったですね」と寄り添ってくれた。そして「サンプルをお家でお使いになってみてお肌に合うようでしたらお買い求めくだされば」と言ってくださり、その優しさに感激した。
家に帰り、ふわふわに泡立てた洗顔パウダー、化粧液、乳液のステップ。肌が潤ったのがわかった。うれしくて何度も鏡を見た。
翌日ファンケルハウスに向かうとあの店員さんが一緒に喜んでくれた。それがわたしとファンケルの出会い。人に優しく、肌に優しく、心に優しい。それがわたしのファンケル。これからもずっとファンケル。
結婚して1年位経った時、田舎から上京して遊びにくる母。久しぶりの親子2人でのお出掛けにワクワクしていました。何処へ行こうか迷った結果、銀座に行くことに。母も私も初めての銀座。右も左もわからないまま、テレビで見たことのあるデパートや素敵な街並みに目を奪われ、あてもなく歩きました。
今思えば、母から"ファンケル銀座スクエア"へ行ってみない?と誘われたような気がします。そして、2人でハンドケアをしていただきました。母娘2人並んで、エステを受けるのはこれが最初で最後でした。
エステティシャンの方は、マッサージをしながら母と私のたわいもない話を楽しそうに聞いてくださり、なんとも言えない幸せな気持ちになりました。帰りに、美容液などを購入、おそらくそれが、私とファンケルの出会いだったと思います。
それからちょうど1年後、母と"ファンケル銀座スクエア"を訪れた日と同じ日、母は病気で亡くなりました。遺品にはファンケルの品々があり、母は以前からファンケル愛好家だったことを、その時知りました。今では私がファンケル愛好家。ファンケルは母と私を繋ぐ大切な存在です。
※2020年6月現在、銀座スクエア及びファンケルショップにおいてハンドマッサージサービスは行っておりません。
おそらく雑誌に載っていたのだろう。インターネットも携帯電話もまだ普及されていない時代だった。25年前。これははっきりわかる。娘が25歳だから。
妊娠してから無添加のものを食べ物で取り入れるようになり、様々な勉強をしそんな最中、出会ったのがファンケルだった。サンプルで送ってもらった化粧液はガラスの小瓶にはいり、それだけで無添加であることがよくわかりそこから私とファンケルは始まった。
25年様々なことがあった。嬉しいこともあった。でもそれ以上に辛いことも悲しいこともあった。一人涙することもたくさんあった。でも私のそばにずっとファンケルがいてくれた。思えば25年、出会わない日はなかった。これってすごいなぁ、と改めて思う。小瓶は年月とともに変わっていったけど中身は、そのポリシーは、25年経っても変わっていない。
娘は25歳になった。
離れて暮らすからあれこれ話せないけれど、私とファンケルの絆の話をいつか話そう。
いつの日か母になる娘に初めて出会った小瓶の話を。
「もう何も食べたくない、ほっといて」
ひどいつわりに悩まされた当時の私。心配してくれていた母親にこんなひどいことを言ってしまいました。母は何人かの薬剤師さんに相談し、色々な料理を作ってくれました。薄味のチキン南蛮や、野菜を細切りにしたなます、甘めの黒豆。どれも食べることができず、とうとう体重も40キロを切ってしまいました。
そんなとき、母が良いアイディアを思いついたと嬉しそうに言いました。それは、おかずが食べられないなら、お米を変えてみようか。ということです。雑穀米や、押麦、いろいろ試しました。そして、ファンケルの発芽米。口に入れた瞬間、「あーこれなら食べられる。おいしい。」自然と、素直に言葉が出てきました。
それから、徐々におかずも食べられるようになり、無事に元気な女の子を産むことができました。ファンケルの発芽米に出会えたことは、母のやさしさに気づけたことでもあります。あんなにひどいことを言ったわたしを見捨てずにいてくれて、いまは感謝の気持ちでいっぱいです。毎年、娘の誕生日には、ファンケルの発芽米を母に贈っています。
私はファンケルに絶対の信頼を置いています。なぜなら、ずっと共にいて、私の一部であったからです。
40周年を迎えたファンケル。私も45歳。初期のファンケル化粧液の小瓶は、私には馴染みがあります。母が使っていたのです。幼心におままごとのように小さな小瓶をかわいいものとしていた記憶。その頃はファンケルも千葉県流山市にあり、当時私が住んでいた町であったことも、不思議な縁を感じます。
大学生になると、いろいろな会社から化粧品の案内が送られてきて、ファンケルではない化粧品を使い、お手入れやお化粧をするようになりました。その頃、宮城県に住んでいる私の祖母が、ファンケルのローヤルゼリー、洗顔料と洗顔パフを使っていました。私は、母だけでなく、祖母までもがファンケルを使っているのを見て驚きました。祖母は綺麗な人でした。その祖母の「これで顔を洗うとすごく血行がよくなり、しっとりしていい」と言うのを聞いて、私はファンケルを使うようになりました。
それからずっとファンケルは私の一部です。毎日、私に安心感をくれています。ありがとう、私とずっと一緒にいてくれて。
自分自身は60代ではありませんが、【60代からのサプリメント】を定期購入しています。送り先は実家。私宛の荷物が実家に配達されると、母から電話がかかってきて、「ファンケル、届いたよ。」「開けて飲んでね。」この会話をもう何年も続けているのです。
用事がないと電話をかけられないような関係ではありませんが、実母にもっともらしい親孝行をするのはなんとなく気恥ずかしいもの。離れていても、『母には一日でも長く健康でいて欲しい』という娘の願いを、そっと手助けしてくれているのがファンケルのサプリメントなのです。年代別に不足しがちな栄養素が考えられているため、迷うことも選ぶ手間もありません。数種類のサプリメントが一回分ずつ個別包装になっているため、飲み間違いもありませんし携帯にも便利。パッケージ一袋が一ヵ月分なので、数量の管理も万全です。おかげさまで古希を過ぎ喜寿に向かう母は、骨密度や貧血などの心配もなく、元気に毎日を過ごせています。
離れて暮らす私に代わって母を支えてくださる、ファンケルの40周年にお祝いと感謝の気持ちを込めて。そしてこれからも末永くお付き合いをお願いいたします。
「どちらの口紅の色味がお母さんに合っていると思う?」 ファンケルショップの店員さんが私の娘に尋ねてくださった。中学生の娘が私の買い物に初めて付き合ってくれた時のこと。娘はファンケルショップに並んでいるお化粧品の数々を興味深そうに眺めていた。店員さんは「親子一緒にショッピングいいですね。」と柔和な笑顔を向けてくださった。
私とファンケルの出会いは、23年前にさかのぼる。大学生になって市販の口紅を塗った後、唇がたらこのように腫れ上がってしまったのだ。母の勧めでファンケル化粧品を使用するようになると肌トラブルとは無縁な生活を送れるようになり、以後はずっとファンケル一筋だ。
だから、私の娘がお化粧をするようになる頃には私が母に勧められたように私も娘に勧めてあげたい。そしてこれから先、50周年、60周年とファンケルのアニバーサリーを一緒にお祝いしていきたい。私の肌にはファンケル化粧品がついてるから、自信をもってこれからも輝き続ける自分でいられると思う。
40周年、おめでとうございます!ファンケルとのお付き合いは、敏感肌で日本製でも肌に合う基礎化粧品がなくて、困っていた20代から始まり、健康食品から発芽米・下着から雑貨まで、お世話になるばかりです。とりわけ海外出張時の、普段の生活から離れた環境では、いつもファンケルが頼りです。
気候・水・食べ物も異なる場所で、慣れないホテル生活をしながら、厳しいスケジュールをこなさねばならない。そこで、体調を管理し日本と変わらない笑顔をキープする為の、私の強い味方が、ファンケルの製品です。
国によって水質が変わっても、基礎化粧品もヘアケアも、欧米・中東・アジアどこでも、ファンケルなら大丈夫で、持ち運びにも、大変便利なサイズです。乾燥しがちで温度調整も難しい海外のホテルも、おやすみマスクと腹巻があれば安心してぐっすり眠れます。いつものサプリメントのパックに青汁で、朝をスタート。
いつもの化粧品も大切で、BBファンデーションは環境が変わっても、夜まで軽やかに肌をカバーしてくれました。かぜよけドリンクや、接待で食べ過ぎた後のカロリミットも、必ず持参しています。ファンケル製品は、これからも私の大切な相棒です。
※おやすみマスクは既に販売終了しております。
只今36歳です。23歳の時に難病になり、それくらいから喘息も発症し香料でお化粧を諦め始めた時でした。持病の影響で後遺症もありメイクそのものが大変でした。
でも女性らしくありたい!綺麗を諦めたくない!そんな願いから片っ端から試して出会えたのがファンケル。口紅をつけたのは何年ぶりだっただろうか。涙がでるほど嬉しかったです。
そして毎月楽しみにしているエスポワール。私のメイクのお手本は全てエスポワール。好感があるメイクばかり! 本当に素敵です。今はメイクも楽しく素早く出来るようになりました。私の人生で綺麗を諦めない事を教えてくれました。メイクをし外出する!そして毎号エスポワールを熟読する。楽しみです。
私は今年還暦です。1994年からファンケルの手帳をいただき、使い続けて27冊目になりました。
約30年前、娘2人が幼稚園と小学生で川崎に居るころ、社宅のお友達がファンケルを紹介してくださり、それ以来のおつきあいです。
1日に1行2行書かれた手帳をパラパラめくってみると、よいことも苦しかったことも、とても懐かしく思い出されてきます。家族の歩みが詰まっています。ファンケル化粧品やサプリメントはずっといっしょでした。
今は、ビューティブーケにはまり、特に頭皮ケアにも力を入れようと思います。年をとっても孫に「ばぁば、きれいだね。」と言われるように頑張ります。ファンケルの商品開発にこれからも期待しています。
ファンケルさんとは、化粧液が小瓶の時からのおつきあい。使い終わった小瓶がとてもかわいく気に入ってしまって捨てられず「元気生活」に載っていた、ハンドメイドページの額をアレンジして季節の草花をさせる一輪ざしのミニスタンドをつくり、身近なインテリアとして今でもずっと化粧液の小瓶を活用しています。
思い返せば使い始めてから、今までスキンケアは肌も心もシャキッとリセットさせていただき、毎日仕事場へ元気に向かえ、メイク品は私のコンプレックスな部分をカバーして、気持ちを明るくしてくれて、夏は日焼け止めや美白化粧品、冬はハンドクリームやリップ、家族も使ってお世話になりました。また今は亡き祖母に発芽米や青汁、まるごと緑茶をプレゼントすると大変喜ばれ、プレゼントの時にいただいたバスタオルや食器も生活の中で大切に使わせていただいております。毎月届く「ESPOIR」の情報誌から美容の知識を、「元気生活」からは健康の知識を教えていただき、勉強にもなりました。
30年ほど前の話になります。
そのころ、テレビコマーシャルに出てくるような大手メーカーの化粧品やブランド品の化粧品は、どれも必ず香料が入っていて、結構キツイにおいがついていました。私は、香料があまり好きではなく、香料が入っていない化粧品をずっと探していました。そんな時、雑誌の広告だったでしょうか。ファンケルを見つけた時は、とても感動したことを覚えています。香料だけでなく、肌に害のあるものは一切入れない「無添加」、その上「通販で購入できる」ファンケルの化粧品。まさに、私が探し求めていたものでした。
無添加である分、少量で値段も高めでしたが、何よりも安全であるということが安心となりました。
(時々、他の化粧品に浮気!?したこともありますが、結局ファンケルよりも魅力のあるメーカーはなく、必ずファンケルに戻るのです。)
これからも、私は、信頼できる会社ファンケルのファンであり続けることでしょう。
─ 写真について ─
購入を始めた当時は、化粧液と乳液は、完全密封の5mlのガラス?の小びんでした。
当時、私の住んでいる地区では、ごみの回収で化粧瓶の回収はなく、燃えるごみとして出すのも気が引けたため、使い終わった容器を捨てずに家の中に置いていました。そのうち、ファンケルの容器が樹脂製になり、燃やすごみに出せるようになったのですが、それまでの習慣で、化粧液の容器だけは、ずっと捨てずに25年?程たち、今日に至ります。
空き容器が、段ボール箱がいっぱいになるほどになってしまいました。そろそろ処分を考えないといけません。その前に、これまでの容器を写真にとっておこうと思いました。
※サミー様の大切な容器をファンケルの資料室に寄贈いただけることになりました。
『食品に消費期限があるのに、どうして化粧品にはないの?』新聞に見つけたファンケルさんの広告文、目から鱗のといかけでした。無添加化粧品との忘れられない出会いです。三十数年前、十ミリリットルのスキンローションは、旅や帰省時にとても便利。今も空きビンは小さな花の指定席、飾って楽しんでおります。大きな容器はお得感があっても安心感は得られません。香料も不使用なので調理や食事の邪魔をしないのもうれしいところ。
ミカンの様な鼻の頭や過剰な皮脂に悩み、ウグイスの糞を取り寄せたこともありました。洗顔パウダーを使ったときは、これだ!と思いました。長年の悩みが泡と一緒に払拭できたのです。小ビンから始まり進化し続けるファンケルさんのお陰でいつまでもかわらないねの一言が嬉しい日が続いております。タイムスリップできたなら「是非これおすすめだよ。」ってプレゼントしてあげたい。あの頃の私に。
代表取締役
社長執行役員 CEO
お客様が伝えてくださったファンケルとの絆が、今、改めてこうありたいと思う私たちの姿であり、未来につなげていきたい絆であると深く感銘を受けたため、ベスト絆賞とさせていただきました。
私たちは、これからも「正直品質。」なモノづくりと、お客様との絆を大切に歩んでまいります。